幸福の定義を決めるのは他人ではない

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どうも皆さんこんばんは。

当ブログでは経済的自由を願ってお金持ちになりたい!とタイトルを名付けています。

この目標は人生の長期的な視点で名付けたもので、何も今すぐお金持ちになりたいという理由で付けたわけではありません。

で、お金持ちでは無い今は不幸なのか?と問われるとそれは違うと断言することは出来ます。

僕はとても幸福です。信頼できる友人や家族や、愛する人がいますし、健康に生きていて、毎日ご飯を食べられて、生き生きと社会貢献もできています。

幸福の種類

幸せには一時的なものと長期的に続くものがあります。

短期的な幸せといえば、物を買ったときでしょうか。

欲しかった服や靴を買ったときって凄く嬉しいですよね。

買ったときって凄く満たされた気持ちになりますが、その幸福感って直ぐに消えてなくなってしまいます。

しばらくしたらまた直ぐに別の物(一時的な幸福)を求めるようになります。

僕はこれも、麻薬の一種なのでは無いかと考えることがあります。幸福を求めて、代わりに物を追い求めてしまうために、お金を消費するのではないかと。

確かに、素晴らしいブランドの服や、素敵な機能を持つ家電が欲しくないと言ったら嘘になります。誰かが無料で贈呈してくれるのであれば喜んで受け取るでしょう。

ただ、先程言った一時的な幸福のために、長期的な幸福を犠牲にする必要があるのか?と考えるようになりました。

誰のために。何のためにお金を使うのか。

では長期的な幸福とは何か、と聞かれればそれは家族や友人がいつも笑顔でいることだと思います。側にいるいつもお世話になっている職場の方でも結構です。

その笑顔を守るために必要なものが、お金や物だというだけです。それは言われなくても伝わると思います。子供が進学するのにもお金が必要です。

彼らの服をいつも綺麗にするために洗濯機が必要なのであり、彼らを健康に生かさせてくれる食べ物を新鮮に保存してくれるから冷蔵庫が必要なのです。

談笑の話題を提供してくれるからテレビが必要で、音楽を共有するためにコンポが必要です。彼らを寒さから逃れさせるために家が必要なのです。

それらを得るためには、お金が必要なのです。

それ以外にお金を使うのは考えてから

他人への見栄やプライドで必要以上にお金を使っている人達を見て、僕はいつも悲しくなります。この必要以上に、というのは、自分の身の丈以上にという意味です。

別に僕はブランド物が嫌いなわけでも少しばかり見栄を張ることを否定しているわけではありません。

ただ、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないの?って思うのです。

そのお金を、大切な友人や恋人、家族に向けて使えば、とても幸せにいられるだろうに。

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